大阪駅へと進化する梅田貨物駅、10年前 40年前の光景と現在工事中の画像を比較

グランフロント大阪や梅田貨物駅を含む、JR大阪駅 北側「うめきた」エリアの再開発事業に新しい動き。

JR西日本はこれまで、梅田貨物駅跡の地下に建設中の「うめきた(大阪)地下駅」(北梅田駅)の名を、既存の大阪駅と新改札口で結ぶことで一体化させ、大阪駅と呼ぶことを決めた。

明治期にできた貨物取り扱いエリアをルーツとする梅田貨物駅は、1928(昭和3)年に大阪駅 貨物取扱所を独立させるかたちで梅田駅が開業。このときも、ことしJR西日本が発表した内容と似て、大阪駅と同一駅の扱いだった。

その数年後には、現在の毎日新聞ビルや大阪中央病院があるエリアに、梅田南駅が誕生。↑↑↑の2枚めの上空写真が40年前。大阪駅旅客ホームの左下、阪神高速と旅客ホームの間にできた貨物ヤードがその梅田南駅。

さらに梅田北駅にも荷物ホームやコンテナホームが増築され、2013年に梅田貨物駅が廃止されるまで東海道線の一大物流拠点としてあり続けた。

↑↑↑の1枚目の画像が、2011年当時の梅田貨物駅。梅田スカイビルから大阪駅を見下ろした画で、その先には生駒山や金剛山へと連なる山脈がみえる。

ここから↓↓↓の写真は、2011年に鉄道チャンネルが撮影した梅田貨物駅とその周辺の画像と、JR西日本が公開している「うめきた(大阪)地下駅」(大阪駅)の建設中画像を。10年前のDE10やEF66がいたころと、建設中のいまを、比較してみて。


(2011年)左の鉄橋が阪急線、その先に淀川。画面左側が新大阪方。


(現在)新大阪を背にして梅田スカイビルをみる。仮線を行く特急。


(2011年)梅田スカイビルから。着発線で待機するEF210形電気機関車+コンテナ列車。貨物本線を通過する特急はるか。入れ換え中のDE10形ディーゼル機関車+コンテナ列車。


(2011年)大阪スカイプラザテニスクラブの表示があったころの梅田貨物駅。右は梅田貨物駅名物のダイヤモンドトラス工法による巨大ルーフ。


(2011年)大阪駅を背にして梅田貨物駅(新大阪方)をみる。右側の鉄橋は阪急電鉄。


(現在)建設中の「うめきた(大阪)地下駅」(大阪駅)


(現在)「うめきた(大阪)地下駅」(大阪駅)前後の函体構築


(現在)西九条方仮線。