宮原操車場に残る築50年超の鉄道遺構、新大阪発 新幹線まで30分あれば見に行ってみて!

この眺め、どこから見てるかわかる人は、新大阪をよく使う人。

ここは、新大阪駅 西口を抜けて、新御堂筋 千里中央方向の歩道に出る6番出入口を出て、右手(新幹線 岡山方)を見たところ。

12系客車や14系サロンカーなにわ、クモヤ145がいる。宮原操車場。

ここに、1960~70年代につくられたと想われる鉄道遺構がある。

現場は、新大阪駅から新幹線に乗る時間まで30分あったら、ちょっと見学できる距離。

まず、この眺めがある陸橋の歩道から、地上へ降りる。

宮原操車場に沿ってある小道を、西町公園へむけて歩くと、こんな構造物に出会う↓↓↓

1972(昭和47)年竣工、高架貯水槽

ちょっと不気味な雰囲気もある、高架貯水槽。

設計は大阪鉄道管理局 施設部工事第一課、監督は大阪鉄道管理局 大阪工事区 山本鷲阪、施工は鉄建建設、設計荷重1234トン、着手は昭和46年10月23日、竣工は昭和47年2月19日と記されている。

さらに、その先にすすむと……。

1950~60年代にできたとみられる転車台

レール断面が白塗り、コンクリート製枕木に番号……その先に、転車台。

この転車台、どうやら1950~60年代に出現したと想われる物件。

宮原操車場はもともと、敷地の西端に宮原機関区があった。そこに大きな転車台があったけど、1960年代の配線図にはその姿はなく、現在の朽ちた転車台の位置に記されていた。

――― 宮原機関区側の転車台が消え、中腹南端にいまもある転車台……。誰がここでくるっと向きを変えてたのか。そんな妄想を抱きながら、また新大阪駅新幹線ホームまで、歩いて10分で戻れる。